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Persimmon☆パーシモン

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カテゴリ:海外( 34 )

モンレアーレ

中世はまだまだ宗教の影響力が強く、
教皇は世俗の皇帝や王をも
支配下に置こうとしていました。
パレルモには教皇の息のかかった司教がいて、
それを面白く思わないグリエルモ2世は、
当時、王家の狩猟場だったモンレアーレ
カテドラルを建設したのです。
モンレアーレ“Monte reale”は、
“王の山”という意味です。

モンレアーレはパレルモから内陸に約8km
標高310mのカプート山にあります。

モンレアーレ_d0348249_13304889.jpg
コンカ・ドーロ盆地

コンカ・ドーロ盆地です。
この日は少し靄が掛かり、
写真は鮮明に撮れませんでしたが、
素晴らしい絶景でした113.png

モンレアーレ_d0348249_13311152.jpg

紺碧の海とパレルモの町を見下ろす
素晴らしいパノラマが広がっています162.png


モンレアーレ_d0348249_13313208.jpg

駐車場からこのような狭い道を通り
ドゥオーモに向かいます。
歴史を感じる町並みですね169.png


モンレアーレ_d0348249_13315357.jpg

民家が山に張り付くように建っていて
独特の景観です113.png


モンレアーレ_d0348249_13320965.jpg
ドゥオーモ

ドゥオーモです。
建設されたのはシチリア・ノルマン王国3代目の王、
グリエルモ2世の時代です。
正面には堂々とした2つの塔が並び、
ファサードの青銅扉は12世紀の物で
聖書の場面が描かれています。

この時の私はまだこんな山奥のいなかに
それ程凄いものがあるとは思っていませんでした。


モンレアーレ_d0348249_13323434.jpg
金箔のモザイク

113.png162.pngもう衝撃でした162.png113.png

現存する教会の中で、世界一モザイク装飾表面積が
大きく、6000㎡を越えます。
ちなみに2番目はヴェネツィアの
サン・マルコ寺院です。
サン・マルコ寺院も凄かったですが、
知名度と都会指数が全然違います。
どうしてここに?
宝物でも発見した気分になりました113.png


モンレアーレ_d0348249_13325714.jpg

「全能のキリスト」、
その下には「玉座の聖母と諸天使」、
その下に「十二使徒」。

162.png本当に素晴らしいでしょ113.png
177.png目がチカチカします177.png


モンレアーレ_d0348249_13331610.jpg
身廊

身廊には旧約聖書が描かれています。
「アダムとイブ」「カインとアベル」「ノアの方舟」等。
物語性の高いモザイクはイスラム的な装飾と
マッチして決して他では見られない美しさでした162.png

イスラム、ビザンチン、ロマネスクを融合した
ノルマン芸術の至宝として、
2015年ユネスコの世界遺産
登録されたのも納得です!

モンレアーレ_d0348249_13333516.jpg

大きなパイプオルガンがありました。
画像の左下が分かりやすいかな169.png
右にもあるのですが、この画像の方が大きさや
迫力が分かりやすいかと思って…
本当に大きくて、友人はしきりに
ここで演奏を聞きたい!!!
言っていました。

モンレアーレ_d0348249_13335735.jpg
グリエルモ2世と先王の棺

手前のが父グリエルモ1世の棺で
奥のがグリエルモ2世の棺です。


モンレアーレ_d0348249_13341493.jpg
マリア様

113.png本当に豪華絢爛ですね113.png

こんな山奥にここまで豪華絢爛な大聖堂があるとは!
意外性と豪華さに頭がクラクラしました107.png

シチリアまで来て、
見られてよかった〜
103.png

色々素晴らしいところはありましたが、
今回の旅のベスト3の一つです162.png

サボテンも沢山ありました。
サボテンジュースを売っていたのですが、
特産品とは思っていなかったので
飲み損ねてしまいました。
サボテンステーキ等、家庭料理でもよく使う
食材だそうです。
そう聞くと、ジュースを飲んでおけばよかった!
と後悔しきりです145.png

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by sho_2015 | 2020-03-24 14:23 | 海外 | Comments(0)

パレルモ

パレルモはシチリア州最大の都市です。
人口68万人を数え、シチリアの商工業の中心地です。
アラブやノルマンといった南北からの
度重なる侵略の結果、異文化の混じった
興味深い文化が創造されました。

パレルモ_d0348249_14242993.jpg
ノルマン王宮に隣接するヌォーヴァ門

ノルマン王宮の脇にかけられた
ルネッサンス・アラブ・ノルマン
混合様式の門(1583年造)。
オーストリアから招かれたカール5世の
パレルモ入城を記念した門です。

画像の下が門になっています105.png

パレルモ_d0348249_14251882.jpg
ノルマン王宮

ノルマン王宮は、かつてのシチリア王の宮殿です113.png

パレルモ_d0348249_14253608.jpg
ノルマン王宮

9世紀にパレルモを支配していた
アラブ人太守の元で建設が始まり、
12世紀に入ってノルマン人が拡張、増改築して
アラブ・ノルマン様式の王宮となりました。
1946年より、宮殿はシチリア地方議会の
建物となりました。

パレルモ_d0348249_14255600.jpg
カテドラル大聖堂

ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りに面した公園の
背後に構えるパレルモで一番大きい教会、
カテドラル大聖堂
創建は1184年ですが、オリジナルの部分は
殆ど残っていません。
600年にわたる外国支配の中で、
さまざまな建築様式が複合してできた
「パレルモ的」ともいえるこの町の
代表的な建築物です。
中央の印象的な丸屋根は
18世紀後半に建設されました。

162.png華やかな外観ですね〜162.png

パレルモ_d0348249_14261493.jpg
クアットロ・カンティ

クアットロ・カンティはマクエダ通りと
ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りが
交差する地点に17世紀に造営された
小さな広場が起源です。
クアットロ・カンティは四つ辻(十字路)の意味。
広場に面した4つの建物はその角を均等に
弧を描くように丸く切り取られた形になっています。

わかりますか?

パレルモ_d0348249_14263403.jpg
クアットロ・カンティ

各壁面に3段ずつの装飾が施されています。
一番下には四季を表現した噴水、
2段目には歴代スペイン総督、
3段目には町の守護聖女が設置されています。

この時一角ではギターで音楽が演奏されていました169.png
169.pngヨーロッパっぽくって良いですよね169.png

パレルモ_d0348249_14271905.jpg

お菓子cannoloカンノーリです
筒状の揚げた生地にリコッタクリームを詰めた、
シチリア島生まれのドルチェです。
ここでは購入しませんでしたが、
前回のアマルフィで頂きました。
写真も撮って、感想を書く気満々だったのですが…
リコッタクリームは私は初めてだったと思います。
美味しかったのですが、日本人には
少しおもかったかな〜105.png

パレルモ_d0348249_14275146.jpg
マッシモ劇場

建設当時はパリのオペラ座に次いでヨーロッパでは
2番目の大きさを誇っていました。
客席数3200、新古典主義(ネオ・クラシック)の
堂々たる劇場です。
20余年にわたる修復を終え、1997年より
再開されています。

映画「ゴッドファーザー Pert3」が
撮影された場所でもあります。
クライマックスのマフィアの抗争で
アル・パチーノ演じるマイケルを狙った銃弾が
娘に当たってしまう最後のシーンです。

114.pngマフィアは素人さんには手出しはしないが
今もしっかり暗躍しているそうです114.png

同行者の中にすっごく思い入れの強い方がいて
感激していました。

パレルモ_d0348249_14281133.jpg

街路樹です
日本と違って刈り方が四角くて面白いですね
日陰になっていいかも174.png

パレルモ_d0348249_14282661.jpg

馬車で町をまわることも出来るようです。
こんな素敵な歴史的な町を馬車で観光できたら
嬉しいですよね〜162.png


イタリアも新型コロナウイルスが
大変な事になっています108.png
チョット前のニュースでシチリアでも
感染者が出たと言っていました。
同行者とも
「あと一週間遅かったらヤバかったよね」
と言っています。

これから世界はどうなっちゃうんでしょうかね?
とりあえず自分の身は自分で守りましょう!

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by sho_2015 | 2020-03-14 15:03 | 海外 | Comments(0)

アマルフィ

皆様は「アマルフィ」と聞くと、
降り注ぐ太陽と白い町並みがまぶしい
高級リゾート地をイメージするでしょう。
「アマルフィ海岸」は1997年にユネスコの
世界遺産にも登録されています。

アマルフィ_d0348249_15361809.jpg


113.png 本当に美しいですね 113.png

でもそれだけじゃないんです
耕す土地に恵まれなかったため、
人々は大海原に出て行きました。
4大海運共和国(アマルフィ・ヴェネツィア・
ジェノヴァ・ピサ)のうち最古の町である
アマルフィは、10〜11世紀に
大繁栄しました179.png

アマルフィ_d0348249_15364135.jpg
「海の門」の横にあるタイル画

海の門の横のタイル画はかってのアマルフィが
貿易を行っていた範囲を描いています。

169.png 地中海全部ですね 169.png

しかし繁栄は長く続きませんでした。
その後地震と津波で砂浜は侵食され、
広範囲の土地が海中に沈没してしまいました149.png

アマルフィ_d0348249_15383147.jpg

ビーチは以外に小さかったです。

アマルフィ_d0348249_15385116.jpg
ドゥオーモ

57段の大階段の先にあるのはドゥオーモです。
10世紀頃に創建され、交易のあったビザンチンや
イスラムの文化が見事に融和しています。

アマルフィ_d0348249_15391246.jpg
正面入口

コンスタンティノープルから運ばれた青銅扉と
その上に描かれているのは聖アンドレアです。

162.png金々のモザイク画ですよ162.png

113.png美しい〜113.png

町の守護聖人である聖アンドレアにささげられた
大聖堂で、たびたび改修が施されました。

ブロンズ製の正面扉はコンスタティノーブルで
鋳造された物で1065年に取り付けられた。
当時のアマルフィの覇権と経済力を示しています。

アマルフィ_d0348249_15394038.jpg
天井画

天井画には聖アンドレアの生涯が描かれています。

アマルフィ_d0348249_15400756.jpg
主祭壇

豪華絢爛な主祭壇は18世紀のバロック様式。

アマルフィ_d0348249_15402994.jpg
説教壇

説教壇も豪華ですね113.png

アマルフィ_d0348249_15413398.jpg
ドゥオーモ

113.png素晴らし〜い113.png
ロマネスク建築、バロック建築、 イスラーム建築、
ロココ建築、ゴシック建築、ビザンチン建築など
様々な建築様式が見事に融合していました。
残念ながら「地下聖堂」と「天国の回廊」は
見られませんでしたが
アマルフィのかつての財力を象徴していますね179.png

アマルフィ_d0348249_15415476.jpg
ドゥオーモの階段の上からの風景

高いでしょ?

アマルフィ_d0348249_15421503.jpg

ドゥオーモ前の通りを山側に約1km程進むと
「紙の博物館」があります。
渓谷からの豊富な水を利用して
12世紀中頃に手すきの製紙業が盛んになり、
かつてはこの渓谷に16もの製紙小屋が
あったそうです。

アマルフィ_d0348249_15423739.jpg
水が溢れ出ている様子

紙作りは海運共和国として栄えた時代に
アラブ圏との貿易を通して
中国から伝えられたものです。

残念ながらシエスタのため紙の博物館には
入れませんでした145.png


アマルフィ_d0348249_15430242.jpg

この風景が前回の「日本のアマルフィ」雑賀崎と
似ていると思った風景です。
太陽の光が入り上手く撮れませんでしたが、
私の記憶の中のアマルフィは鮮明です。
先々月行ったばかりですから169.png
でも記憶って薄れていくんですよね〜145.png

断崖絶壁にひしめくようにして建つ家やホテル。
帰りは山の方を超えて行ったのですが、
本当に転げ落ちそうな断崖絶壁の道なのです。
ジオ王国イタリアの絶景アマルフィは
この厳しい地形が生み出したと
言えるかもしれません。

もっともっと書きたいことが沢山あるのですが、
今回はこんな感じで…

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by sho_2015 | 2020-03-07 16:35 | 海外 | Comments(0)

アルベロベッロ

2月15日の「世界ふしぎ発見!」は南イタリアでした
すごく懐かしくなり、今回はアルベロベッロです。

とんがり屋根の石の家(トゥルッリ)で有名な
アルベロベッロ
1996年に世界遺産に登録されました。

アルベロベッロ_d0348249_14202856.jpg

見て下さい113.png まるでおとぎ話のような町でしょ?
今回の南イタリアの旅で一番行きたかった所です。

石灰石を積み上げただけで造られています。
これは有史以前からの建築技法を受け継ぐものだ
という説もあります。

トゥルッリが多く残る地区は主に
オーネ・モンティ地区とアイア・ピッコラ地区が
あります。

アルベロベッロには夕方到着したのですが、
177.pngライトアップ177.pngされていました162.png

アルベロベッロ_d0348249_14205078.jpg

ただでさえ夢の国なのにライトアップで
もっとファンタジーですね113.png
ここは商業地区のオーネ・モンティ地区です。
約1000のトゥルッリがあります。

アルベロベッロ_d0348249_14210904.jpg

どうして石の家?
それはそこに石が沢山あったから
木が沢山あったら木の家になったかも。

アルベロベッロ_d0348249_14213760.jpg

113.png素敵ですね〜113.png

一説には課税逃れのためとも言われています。
税の徴収人が来た時に家を壊して
帰ったらまた作り直したとか。


世界ふしぎ発見!にも出ていた
陽子の店[Yoko's shop]の中です。

アルベロベッロ_d0348249_14215405.jpg

陽子さんはトゥルッリに住む御主人の元に嫁いで
雑貨屋さんを営んでいる日本人です。
ガイドの資格も持っているので
店舗兼御自宅のトゥルッリの内部を公開して
観光客に見せて下さっています。

アルベロベッロ_d0348249_14221142.jpg

このときは陽子さんが色々説明して下さって、
息子さんは寡黙でしたが、
テレビでは愛想が良かったですね

アルベロベッロ_d0348249_14222972.jpg

陽子の店[Yoko's shop]の屋上からの風景です。
ここも無料で公開して下さっています。

息子さんも言っていましたが、トゥルッリに住むのは
とても大変だそうです。
夏は涼しくても冬は本当に寒いのだそうです。
また世界遺産なので、色々義務があるようです。


アルベロベッロ_d0348249_14225017.jpg

113.png展望台からの風景です113.png
こちらは商業地区のオーネ・モンティ地区
(さっきまでいた所)の方向です。

162.pngもう本当に幸せです162.png

アルベロベッロ_d0348249_14230649.jpg

星のオブジェ
この後、私達はレストランに食事に行ったのですが
このように町もイルミネーションに彩られ
とても綺麗で清潔なイメージを持ちました。
(ナポリとかはゴミだらけ137.png)

翌朝はアイア・ピッコラ地区に行きました。
こちらは生活のためのトゥルッリが
約400残っています。

アルベロベッロ_d0348249_14232637.jpg

このおじさんはトゥルッリをいくつも所有していて
このように紹介されるので日本人には
有名なのだそうです。

アルベロベッロ_d0348249_14234226.jpg

アルベロベッロは冬は比較的寒く、
手袋をしても手がかじかむ程で
例年は観光客が凍った道で転ぶことが
よくあるそうです。
私達はシチリアから来たので寒いと思いましたが、
例年よりは10度位気温が高かったようです。

アルベロベッロ_d0348249_14235995.jpg

脇道のトゥルッリはこんな感じ。
昔はトゥルッリに住むのは比較的に低所得者層が
多かったようです。
小学校でイジメられたり…
今は購入するのも維持するのも
とてもお金が掛かります。
海外のお金持ちが別荘として購入したり
レストランやホテルに利用したり。

所有者は人生大逆転なのです169.png

アルベロベッロ_d0348249_14241832.jpg

珍しい屋根の修理の様子です。
手仕事なのでとても時間がかかります。

こういった技術を後世に継承していくことは
素晴らしいことですね162.png

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by sho_2015 | 2020-02-18 15:06 | 海外 | Comments(0)

アグリジェント

ギリシャの叙情詩人ピンダロスが
177.png世界で最も美しい177.png」と賞賛した、
アグリジェント

1997年、ユネスコの世界遺産
登録されました。

アグリジェント_d0348249_16085941.jpg

113.png素晴らしい絶景でした113.png

シチリアも温暖化の影響で例年よりも10度くらい高い気温だったようです。
春に咲き誇るはずのアーモンドの花179.png
1月17日のこの時、満開でした。

神殿群は海を見渡す高台にほぼ一列に並んでいます。
わかりにくいですが、画像の先には
が見えるんですよ162.png

アグリジェントは紀元前580年頃に
ギリシャ人によって造られ、
またたく間に発展を遂げた植民都市です。
その後カルタゴとの戦いで勝利の後、
海上覇権を手中に収め領土を拡大し、経済・文化が
花開き多くの神殿が築かれました。

紀元前262〜261年の第一次ポエニ戦争後、
町はローマ支配となり勢いを失うこととなりました。

コンコルディア、ジュノー、ヘラクレスなどの
神殿遺跡群が残り
ヘレニズム、ローマ時代の都市遺跡や
前キリスト教時代の埋葬跡等も出土される
長い歴史の刻まれた町なのです。

アグリジェント_d0348249_16094189.jpg

アグリジェントの神殿は
ギリシャの大理石の神殿とは異なり
地元で採れる砂岩系凝灰岩を使って造られました。
補強のため白い漆喰が施され、装飾には塗装した
テラコッタが使われていました。


ジュノー神殿

アグリジェント_d0348249_16101129.jpg

ギリシャ神話の最高神ゼウスの妻ヘラはイタリアでは「ジュノ」です。
ここはヘラを祀る神殿です。
神殿が築かれたのは紀元前460~440年頃。
柱が前面6本、側面13本並ぶドーリア式神殿です。

繁栄を謳歌していましたが、紀元前406年、
再来襲したカルタゴに敗れます。
ジュノー神殿は破壊され、火を放たれました。

アグリジェント_d0348249_16103365.jpg

アーモンドの花は例年は2月に開花するそうですが、
異常気象のポカポカ陽気で1月だったのですが
御覧の通り、171.png満開179.pngでした

今も発掘と修復作業が続いています。


アグリジェント_d0348249_16105576.jpg

城壁に穴が開いています。
紀元前500年頃に築かれた城壁が、
ビザンティン時代にキリスト教徒の墓に
転用されたものです。
時代がかわり色々利用方法が変わるのが凄いですね。
長〜い歴史を感じます。

アグリジェント_d0348249_16111565.jpg

ローマ時代の邸宅の庭から出てきた彫像だそうです。
頭が取れてますが、元々頭は取り外して
権力者が変わるごとに付け替えていたのだそうです。
ある意味エコです


コンコルディア神殿

アグリジェント_d0348249_16114384.jpg

一番保存状態が良い神殿です。
紀元前5世紀に建てられ、紀元6世紀にキリスト教の
聖堂に転用されました。
このため、一連の神殿の中では保存状態が
良いのです。

ここに来れば、
ギリシャに行く必要がない


とまで言われているとか。


アグリジェント_d0348249_16120693.jpg

今のアグリジェントの街も見渡せます。
現在のアグリジェントは人口は約6万弱
最盛期のギリシャ時代はその5倍以上の
30万人が暮らす大都市でした。
崖に張り付くように住宅が建っていて
こちらも絶景でした113.png
しかし、写真の腕が122.png
スケールが壮大すぎて収まりきらないんですよね141.png


ヘラクレス神殿

アグリジェント_d0348249_16122878.jpg

ヘラクレス神殿は、紀元前520年に建てられ、
アグリジェントに現存する最古の神殿です。
ドーリア式神殿で、かっては前に6本、
側面に15本の柱が並ぶ構造でしたが、
地震で倒壊してしまったため
8本の円柱が残るだけです。

周りには倒壊した石が散乱していました。
それも古の栄枯盛衰のようでとても趣がありました。

遺跡はイギリスのハードキャッスル卿により
一部が復元されたのだそうです。
今では世界遺産に登録されたので
現状維持をしなくてはいけないので
逆に復元できないのだそうです。

主に遺跡の説明をしてきましたが、
風景が本当に素晴らしかったです113.png
夕日で逆行になり、あの素晴らしい絶景を
お届け出来ないのが残念です145.png
何枚も失敗して、
あのパノラマは写真では写し取れないと
実感しました。

皆様、行って
直接見て感動して下さい


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by sho_2015 | 2020-02-08 17:10 | 海外 | Comments(0)

ポンペイ

ポンペイはヴェスヴィオ火山噴火によって
A.D.79年に地中に埋もれ、1748年に発見され
断続的に発掘されました。
ユネスコの世界遺産に登録されています。

ポンペイの時が止まってから2000年後の私達が
この街を訪れ、当時を偲ぶのも
本当に不思議な感じです。

ポンペイ_d0348249_14545054.jpg
城壁

全市民(約2万人)が集うと予想され、混雑を
避けるために町はずれに建てられた円形闘技場。
そこでは猛獣や剣闘士の戦いが
繰り広げられていました。

ポンペイ_d0348249_14551599.jpg
剣闘士の宿舎

剣闘士の宿舎です。
剣闘士はこのひろばで武術の練習をしていました。

また大劇場の舞台の裏手にあるので、
観客は休憩時間にここで談笑したり、
散策を楽しんだと伝えられています。


ポンペイ_d0348249_14553807.jpg
大劇場

紀元前3〜2世紀の物でギリシャ劇場を手本に作られ、
5000人を収容しました。
下の方は貴族や実力者、上の段は庶民の席です。
階段が急勾配で特に降りる時はこわかったです103.png

客席上部からは遺跡を見渡す
美しいパノラマが広ります。

ポンペイ_d0348249_14555614.jpg

修復等が進み、人々の営みがわかるようになる一方
この風景から多くの人の生活が火山噴火によって
奪われたこともわかります。


ポンペイ_d0348249_14561596.jpg
オデオン座

収容人員は1000人ほどですが、屋根が付いていて
音響効果が高かったため、
オデオン(音楽堂)として、
コンサートや詩の朗読が行われていたと
いわれています。


ポンペイ_d0348249_14563953.jpg
アッボンダンツァ通り

2000年前のポンペイのメインストリートで
「アッボンダンツァ通り」です。
活気のある商店街で
カウンターに壺を埋め込んだ居酒屋や
パン屋も並んでいました。
全長は約1㎞、車道と歩道に分かれており、
飛び石の横断歩道もあります。
飛び石になっているのは馬車が通ったからです。
水を流して掃除をしていたそうです。

浴場も複数ありました。
スタビアーネ浴場は紀元前4世紀に建設された
最初の浴場施設です。

ポンペイ_d0348249_14565809.jpg
スタビアーネ浴場

天井の装飾も美しく残っています。

ポンペイ_d0348249_14594006.jpg
スタビアーネ浴場

共同浴場は男女別になっており、中庭右側には
冷浴室・更衣室・温浴室・熱浴室が
設置されていました。
床は二重構造になっていました。

ポンペイ_d0348249_15000024.jpg
スタビアーネ浴場

壁にフレスコ画ものこっています。

ポンペイ_d0348249_15001977.jpg
スタビアーネ浴場

「ポンペイの赤」と呼ばれています。
華やかで美しい装飾に満ちた共同浴場は
ポンペイの繁栄を今に伝えています。


ポンペイ_d0348249_15003739.jpg
フォロ、公共広場

フォロと呼ばれる広場です。
南北に延びた長方形の広場は、紀元前2〜1世紀に
ドーリス式と上方のイオニア式の2層の柱廊で
囲まれています。
町の政治、宗教、経済の中心地だった場所。
神殿のシルエットの先には見えるのは
ヴェスヴィオ山です。
この山が噴火してポンペイは埋もれてしまいました。
天気が悪い時は見られませんので、
ラッキーでした162.png

「ジュピター神殿跡」
ポンペイ最初の守護神はアポロでしたが、
次第にアポロへの信仰心が失われ、
ジュピターが最高の神として
崇められるようになったそうです。
ジュピター神殿の両側には二つの立派な
凱旋門があり、広場全体が回廊で囲まれた、
大きくて荘厳なものだったようです。


ポンペイ_d0348249_15012051.jpg
パン屋さん

パン屋さんです。
今でも使えそうな石窯は2000年前も人々が
今と変わらず食事を楽しんでいたことを
教えてくれます。


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悲劇詩人の家

帝政期の典型的なこぢんまりした家屋で、
2軒の居酒屋の間に玄関があります。
その床には番犬のモザイクがあり
「猛犬に注意」の文字が書かれています。
現代と同じですね


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秘儀荘

「ディオニュソスの秘儀」への入信の
様子を描いたフレスコ画。
背景には”ポンペイの赤”が使われ、
壁三面に描かれた連続絵画です。

ポンペイの目玉だったのですが、
本当に凄い迫力でした。

見る前は遺跡群の方が凄いだろうと、
そんなに期待していませんでした。
しかし
人が良いというものは良い!!
難しいことや宗教的な事は分かりませんが、
圧倒的な迫力があります。
これが火山灰に埋もれて保存され、
現代人が見ることが出来る奇跡に感謝です113.png162.png113.png

各地で地震が頻発している今、
ポンペイの悲劇は「他人事」とは思えません。

度々地震があり、でもまさか火山が噴火して
火砕流で埋もれてしまうことになるとは…
と思って亡くなった人々の石膏像はかわいそうで
写真を撮ることはできませんでした。
しかし、現代の技術で亡くなった人の行動や状況が
分かるのだそうです。

何か予兆があったら
迷わず逃げる!!!

事が大切です。

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by sho_2015 | 2020-02-02 17:03 | 海外 | Comments(0)

タリン昼食・夕食


エストニアの料理はジャガイモがよく使われ、
そして牛肉よりも豚肉の方が好まれるようです。

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昼食はタリン歴史地区の中のレストランで頂きました。

スープです

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ボルシチだと思います。
エストニア料理はドイツやスウェーデンの影響を受けているようですが
ロシアの影響も当然ありますよね。
久しぶりのボルシチ、美味しかったです

豚肉の煮こごりです

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豚肉の煮こごりはよく食べられる郷土料理のようです。
私は豚肉は料理によってチョット苦手なのですが、
この煮こごりはとても美味しく頂きました
ホースラディッシュソースがとてもさわやかで煮こごりとの
相性もバッチリでした053.gif

★ ★ ★ ★ ★ ★

タリンでの最後の夕食です
サラダです。

タリン昼食・夕食_d0348249_15435778.jpg

キャベツのポジションに白菜と思われる野菜が入っていました。
同行者も「白菜かしら?」
私達は少なからず衝撃を受けました005.gif

食べるととても美味しくて、白菜の事なんかどっかに飛んでしまって
結局、白菜なのか良く似た野菜なのかは判りませんでした。
しかし、「白菜サラダ」 ありだと思います。

メインのチキン胸肉です

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下にフライドポテトが敷いてあるのでよく判りませんが
Topに乗っているのが胸肉です。
そして、ここでも白菜です!!
食べてみるとまったく違和感はありませんでした。

メニューではパンケーキとなっていましたが、クレープですよね

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ん~ん053.gif 016.gif美味し~い016.gif

このレストランもシンプルな料理なのにとても美味しかったです。

山形では白菜は保存がきくので、冬の間中よく食べられる野菜です。
しかし、鍋や煮物など煮込む料理が多く
火を通さないのは白菜のお漬物くらいです。
どうして今までサラダとして食べなかったのか不思議なくらいです。
目から鱗ですね 005.gif

by sho_2015 | 2015-04-12 12:51 | 海外 | Comments(0)

エストニア野外博物館


エストニア野外博物館はタリンから車で20分程の郊外にあります。
エストニアの人は家族でピクニックをしたり、休日をのんびり過ごすために
よく訪れるそうです。
広大な森林公園には18~20世紀の藁葺き屋根の建物や風車、木の教会、学校があり、
当時の人々がどのように暮らしていたかを知ることができます。
エストニアの昔の地方にタイムスリップした気分を味わえる博物館です。

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日本の昔の茅葺屋根の家屋とそっくりなので驚きました005.gif

これはサウナです

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実際に火を起こしていて現役バリバリのサウナでした。

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こちらの人はあまり湯船で入浴することは無くサウナが一般的だとのことです。
のんびり疲れをいやしたのでしょうね~068.gif

ここが素晴らしい自然の中の博物館であることがわかりますか?
納屋の中の展示は日本の昔の納屋とほぼ同じで、人間の生活は
気候が似ていれば基本的にそんなに変わらないのだと実感しました。
石の塀は日本と少し違って欧州っぽいです。

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自然と暮らすこういった静かな生活がとてもステキに思えました。
山形も自然が美しい所なのでとても親しみを覚えます056.gif

その当時の生活の様子がわかる展示も多数ありました。
可愛らしい素朴な内装の寝室や、居間、書斎等
でも一番気になったのはこのキッチンです

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私がまだ小さい頃、家にはこのようなかまどがあり、
とても懐かしく感じました。
本当にエストニアの農村の生活は日本と似ています!!

木造の教会です。

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中はこんな感じです。

エストニア野外博物館_d0348249_9464830.jpg

他にも消防団のような組織があり、消火する道具の展示もありました。
学校や風車など今でもここで人々が生活していそうなほど
リアリティのある展示でした。

日本のコンビニのような存在のお店もあります。

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「大草原の小さな家」に出てくる雑貨店のような印象でした。

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by sho_2015 | 2015-04-05 12:16 | 海外 | Comments(0)

タリン歴史地区_2


ラエコヤ広場(旧市庁舎広場)です

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ラエコヤ広場はタリンの旧市庁舎前の広場で、ラエコヤとは市庁舎を意味しています。
この広場はタリン旧市街の中心です。

タリン旧市庁舎です

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タリンの旧市庁舎は、北欧に現存する最古のゴシック建築と言われています。
この建物は1402~1404年にかけて造られたもので600年を超える歴史があり、
塔の高さは64mあります。

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ドラゴンの装飾がチャーミングですね
これは雨どいのようです。

この観光バスで旧市街を回ることもできます

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エストニアの人達は遊び心満載ですね。
このバスが通るととても楽しい気持ちになりました016.gif

民族衣装を着た女の子

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お菓子を試食させて頂きました
日本のかりんとうのようなお菓子で甘くてとても美味しかったです。
他にも民族衣装を着た人が数人いて中世の雰囲気を盛上げていました。

街並みです

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ラエコヤ広場の周辺は、このように素晴らしい街並みが続き
散策がとても楽しかったです

聖カタリーナの小径

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かつてあった聖カタリナ教会の裏手にある小径です。
ここには工芸品の作業場が集まり、アーティスト達が伝統的な手法でガラス器や帽子、
キルト、宝石類などを作成・販売しています。
大昔からの街並みが残り、それを今も活用している事が素晴らしいですね016.gif

ヴィル門です。

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ヴィル通りの端に建つ、2つの小さな円柱の塔から形成された門です。
現在残っているツルで覆われたこの2つの塔は、タリンのシンボルとなっています。

私の住む山形もとても寒いので、タリンで沢山お土産を買いました。
ニットやコートが暖かくて可愛いものが沢山あり
これ!!これ!!欲しかったのは!!!
という感じでした。
日本ではお洒落なファッションは東京発なので
普通に販売されている冬物は山形では秋に着用。
冬本番に着る防寒ビシバシの可愛い衣類が無い!!!
と常々思っておりました。
デザイナーの方、地方の気候に合ったお洒落なファッションを作って下さい。
お願いします040.gif

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by sho_2015 | 2015-03-29 12:21 | 海外 | Comments(0)

タリン歴史地区_1


タリン歴史地区はエストニアの首都タリンに残る旧市街地で
ユネスコの世界遺産にも登録されています。

トームペア城です
ピンクで可愛らしいです。

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13世紀前半ドイツ騎士団が進出し城として建設されました。
18世紀後半にロシアの女帝、エカテリーナ2世の命令で優雅なバロック様式になり、
現在はエストニア国会議事堂として使用されている現役の建物です。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂です。

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1900年に建造されたロシア正教の教会です。
教会の上部は改修工事中でしたが、金ピカで豪華絢爛な教会でした。

聖母マリア大聖堂です

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タリン最古の教会でトーンペアの丘に建つルター派の教会です。
このあたりは高台になっており支配者や貴族が住んでいました。

タリンの展望台です016.gif
旧市街を一望できます。

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見てください!!この素晴らしい景観!!!
016.gifこの地に立ち、実際に自分の目で見られた事が本当に幸せです016.gif
観光客になれた鳥はまったく動じません!!!

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さすが世界遺産!!!
まるでおとぎの国に迷い込んだようです。
この展望台からはバルト海も見えます。
この美しい街を守ってきて下さったエストニアの人達に感謝053.gif感謝053.gifです。

城壁です

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タリン旧市街には、中世の城壁が綺麗に残っています。

リュヒケ・ヤルク通りです

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急な石畳の坂道は情緒たっぷり!!!

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お洒落なカフェやステキな建物の間の坂道を通り抜けていきます。
すごい急勾配でしょ?
でもこれがいいんですよね~053.gif

ここで紹介できるのはタリン歴史地区のほんの少しで、街全体がどこもかしこも素敵でした
先日、メソポタミアの貴重な遺産が破壊されたニュースがありました。
このタリン歴史地区のように中世からの街並みを体験できるなんて
奇跡に近い幸せな事だと思いました。

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by sho_2015 | 2015-03-22 12:09 | 海外 | Comments(0)

NPO法人 情報開発研究会のブログです。


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